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1951年~1960年木箱から段ボールへの転換

ゼロからの再出発という試練にあった段ボール産業は、日本経済の復興とともに不死鳥のようによみがえり、戦後の再建に努める産業界において、包装・輸送の面で大きく貢献することになりました。

段ボール産業が急速な発展を見せた最大要因として、木材資源保護に対する官民あげての取組みがありました。1951年以降、歴代内閣は「木箱から段ボールへの切替え運動」を大々的に進め、それが産業界に浸透していきました。

一方、朝鮮戦争(1950〜1953年)の勃発は、わが国の産業界に段ボール包装の重要性を認識させるきっかけとなりました。米国では当時すでに輸送包装の80%を段ボール箱が占めており、本国から送られてくる多量の戦争物資は、段ボール箱で包装されているものが非常に多く、一方で日本ではまだ木箱の全盛時代であり、段ボールはわずか7%にすぎませんでした。この輸送包装の実態を目の当たりにしたことによって、包装産業における段ボールの地位が飛躍的に向上することになりました。

1955年頃には、ビール、酒類、醤油、乳製品、農産物などの分野で木箱から段ボールへの移行が進みました。特に農産物は、食生活の変化により青果物の種類と出荷量が激増したことに加えて、木箱や竹篭の価格が高騰したこと、出荷作業が共同化・機械化されたことなどから、 急速に段ボール包装へと変わっていきました。1960年の段ボール生産量は約9.8億m²、国民一人当たり10.4m²でした。
木箱から段ボールへ
昭和29年ポスター
 段ボール豆知識
「木箱から段ボール」へ
1950年代、出荷時期が集中するみかんなどの青果物で段ボール箱の使用が始まり、年々その需要が増大していきました。かんきつ類は丈夫な皮に包まれ、外部からの衝撃や圧力に対する抵抗力が強く、当時の貨車輸送などの手荒い荷扱いにも耐えられたことが、段ボール箱への転換の理由の一つと考えられます。

一方、外部からの衝撃によって直ぐに痛むような果実は、モミガラを緩衝材として木箱で輸送されていたので、その切り替えは遅く、みかんと並ぶ代表的なくだものであるりんごは、1960年半ばに入ってから徐々に段ボール箱に替わっていきました。

当時、段ボール箱の利点として次のようなことが挙げられていました。
  • 市場や店頭、さらに輸送中も商品内容がアピールできる。
  • 木箱は空箱でも内容品を詰めたときと同じ大きさがあるが、段ボール箱は20分の1。
  • 梱包するときに釘、針金、金槌が不要で、簡単に封かん・開梱できる。
  • 重さが木箱の3分の1程度。
  • 段ボール箱は内容品に応じた形式、構造のものが、迅速・大量に生産できる。
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